週末お休みしましたが、以下の本の続きです。今週のうちに終わりたいね。
児玉聡(2010)『功利と直観 英米倫理思想史入門』勁草書房
本記事は、「第六章 功利主義の新たな展開」のまとめです。
続きを読む「産み」の哲学については、今後参照にすべき文献もかなり見えてきたこともあり、またネット上で読める文献に限界があるのもあって、小休止します。また図書館行って本を漁れるようになったら再開しようかと。
ということで、今日から手元にある本を読んでいこうかと思っています。まずは以下の本を。
児玉聡(2010)『功利と直観 英米倫理思想史入門』勁草書房
とりあえず、1章ずつまとめていこうかと。目標は1週間で。ちょっとずつ読めていけばいいかと思っています。
本書は、「功利主義」と「直観主義」の対立を中心に英米の倫理思想史を論じています。現代の功利主義は一般的に「義務論」と対比されることが多いが、これは20世紀に入ってから主流となるもので、それ以前は功利主義と直観主義が対比されていたらしい。
倫理学での直観主義とは、「行為の帰結について考えるという過程を経なくても、行為を見ればすぐにその正しさあるいは不正さがわかる(ⅲ)」という考えです。こうした考えは義務論に通じ、本書は功利主義と直観主義の議論を見ることで現代に繋がる英米の倫理思想史を現代にいたるまで見とおそうとするものです。
今回の記事は、「第一章 直観主義の成立」をまとめます。
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ブログでまとめた論文や本の文献リストです。◆または◇でまとめたブログ記事にリンクを張っています。
◆ 居永正宏(2014)「「産み」の哲学に向けて(1):先行研究レビューと基本的な論点の素描」『現代生命哲学研究』第3号、pp.88-108
◆ 居永正宏(2015a)「「産み」と「死」についての覚え書き:弔いを手掛かりに 「産み」の哲学に向けて(2)」『現代生命哲学研究』第4号、pp.28-38
◆ 居永正宏(2015b)「フェミニスト現象学における「産み」をめぐって:男性学的「産み」論の可能性」『女性学研究』22、pp.99-126
◆ 居永正宏(2015c)「「産み」を哲学するとはどういうことか――哲学と経験」『倫理学論究』vol. 2, no. 1、pp.12-26
◆ 居永正宏(2016)「産みの人称性と性的差異:「誕生肯定」再論としての「産む男」試論 「産み」の哲学に向けて(3)」『現代生命哲学研究』第5号、pp.1-12
◆ 中川優一(2020) 「産むことと生まれてきたこと ― 反出生主義における「出生」概念の考察」『現代生命哲学研究』第9号 、pp.54-79
◆ 森岡正博(2011)「誕生肯定と何か:生命の哲学の構築に向けて(3)」『人間科学 : 大阪府立大学紀要』8、pp.173-212
◆ 森岡正博(2013)「「生まれてこなければよかった」の意味:生命の哲学の構築に向けて(5)」『人間科学 : 大阪府立大学紀要』8、pp.87-105
◆ 森岡正博(2014)「「産み」の概念についての哲学的考察:生命の哲学の構築に向けて(6)」『現代生命哲学研究』第3号、pp.109-130
◆ 森岡正博(2015)「「人生の意味」は客観的か-T・メッツの所説をめぐって ― 生命の哲学の構築に向けて(7)」『現代生命哲学研究』第4号、pp.82-97
◆ 森岡正博(2016)「「誕生肯定」と人生の「破断」を再考する ― 生命の哲学の構築に向けて(8)」『現代生命哲学研究』第5号、pp.13-27
◆ 森岡正博(2020) 「リヴカ・ワインバーグの出産許容性原理について ― 生命の哲学の構築に向けて(11)」『現代生命哲学研究』第9号、pp.80-88
◆ 森岡正博、吉本陵(2008)「将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)」『人間科学 : 大阪府立大学紀要』4、pp.57-106
◆ 吉本陵(2014)「人類の絶滅は道徳に適うか? ― デイヴィッド・ベネターの「誕生害悪論」とハンス・ヨーナスの倫理思想」『現代生命哲学研究』第3号、pp.50-68