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(ネタばれ有)『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』の感想 その1

 昨日『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』を見に行ったので取り急ぎ感想を残しておきます。

 一言で言うと、良かったです。個人的には、新ドラオリジナルの中では『南極カチコチ大冒険』に次ぐ評価を与えたいと思っています。

 もちろん不満点、というか好きではない部分もあるのですが、新ドラの方向性や(謎の)縛りの範疇では仕方ない面もあり、クオリティの低い(粗い?)部分はツッコミながら楽しめるという特殊な補正もあり、なんだかんだ全体的な満足度は高かったです。

 特に、先日スペースで開催されていた低志会という怪しい団体のドラえもん座談会の影響もありました。

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 このスペースで話されていた内容、特にnoirseさんが問題提起されていたのび太の問題に本作のテーマが深く関連していると思われ、終始ニヤニヤしながら見ていました。僕としては、ある過去作品を見返してからこの問題を考えるべきだという結論に至ったのですが、今回の新作と比較することで、のび太の人生についてより奥行きのある考察が展開できるような気がします。


 さて、漠然とした感想はここまでにして、以下では現時点での感想を、具体的なネタバレを含みながらとりとめなく記していきます。





・問題設定とオチ

 今回の映画はかなりメッセージ性が強く、その問題提起はドラえもんという作品の根幹に踏み込んでいます。それをどう評価するのか、どう感じるのかによって好みが分かれるかもしれません。

 しかし、その前に問題設定とオチ、つまり問いと解答のどちらに重きをおくのか、ということを考えてみたいと思います。僕としては、オチが優れた作品よりも問題設定が優れた作品に魅力を感じます。実のところ、この映画はオチは全然好きじゃないし、何なら新ドラの好きじゃないところがとても分かりやすい形で出ている、と思っています。

 とはいえ、オチには「そうじゃないだろう」とか「こういうラストもありえたのでは」という妄想の可能性が無限に開かれています。そして、この妄想は問題設定が優れていればいるほど、開かれるのではないかと感じます。本作のオチは正直あまり気に入らないのですが、しかし問いを残すオチです。そのような意味では問題設定がとても優れている……かは分かりませんが、ドラえもんという作品の根幹を揺るがす可能性を秘めたものであることは確かに思えます。そこを個人的には高く評価したいところです。


のび太は本当に肯定されるべきか

 では、本作のラストがどんな問いを残すのか。わかりやすく言えば、のび太にとって本当にあの結末は歓迎すべきことだったのか、という疑問がどうしても残ります。残すべきだとさえ言っていいと思います。

 簡単にまとめてしまえば、みんなが平等で優れていて争いのない理想的な世界がいいのか、欠点があってもそれぞれが自分らしく生きる世界がいいのか。それが本作の問題設定であると言っていいでしょう。そして、のび太は後者を選択するわけです。その過程で、人類補完計画を友情パワーでぶち破るみたいなことをするわけですが、この美しい物語は非常にうさんくさいものでもあると思います。なぜなら、欠点を抱えて元の世界の日常を生きるのび太が本当に幸せと言えるのか、という問題があるからです。

 これは極めて倫理的な問題です。勉強も運動もできない、何をやっても上手くいかない。そんなのび太に「僕はそのままでいいんだ」「欠点だって僕らしさなんだ」「変わらなくたっていいんだ」というメッセージを語らせる。それは強い自己肯定であると同時に、強い自己欺瞞でもあるように思えてなりません。

 だってさぁ、ジャイスネひどすぎるやん。冒頭でみんなで野球やってのび太1人が責められてたけど、ジャイアンズそんなレベルじゃなくボコボコに負けてんだよ。1点もとってないし、あんなんのび太1人のせいなわけないやん。何か上手くいかないことがあったら全部のび太のせいにされるんですよ。人としてどうかしてるよ。てか、いつも対戦相手にボコボコにされてるけど、なんで野球がこんなに好きなんだよこいつら。

 これは、低志会でnoirseさんが提起していた「のび太は遠野貴樹とか碇シンジみたいになりかねないんじゃないか」という問題とつながっている気がします。何をやってもダメな日常。そこにドラえもんがいるからのび太は楽しく生きていくことができているかもしれない。しかし、本来は辛いはずの日常にも思えます。だとしたら、ドラえもんがいなくなったとき、確かにのび太は人生の弾力を失ってしまうのかもしれない。


ドラえもんの存在意義

 「のび太君は変わらなくていいんだ」

 今回、このメッセージが他でもないドラえもんから告げられたわけです。当然、みんな同じことを思いますよね。

 「だったらお前がそこにいる意味は何なんだよ!」

 のび太の未来を少しでも良くするために来たのがお前だろうが。「いやーそんなこと実はどうでも良くて君と馬鹿やって遊んでるのがすっげ―楽しいからそれだけでいいんだよね」みたいなこと言ってんじゃないよ。セワシに解体されるぞ。

 この言葉によって、ドラえもんは(表面上の)存在意義を喪失し、代わって新たな(しかしずっと持っていたはずの)存在意義を獲得したように映ります。未来からきたちょっとヤベー奴がいつでも一緒にいてくれる。それだけでのび太のクソみたいな*1日常も肯定される。


 とはいえこのドラえもんによるのび太の肯定もまた、別種の理想郷でしょう。ドラえもんがいなければ、このクソみたいな日常が肯定されることはない。それは薄氷を踏むような危うさの上に成り立っているわけで(すんっ!)。


 それこそセワシが黙っちゃいないよ。「話がちげーだろクソ狸がよ」ってなるでしょ。奴がドラえもんを回収して工場で改造でもしたらもうおしまいですよ。なんならドラミちゃんを代わりにのび太につけてもいい*2

 セワシ黙っちゃいない問題は、理想郷としての日常を可能にするプラットフォームが実は誰かに支えられている、という問題と言い換えることもできます。ドラえもんにはメンテナンスが必要ですし、経済的に困窮すれば*3その機能を維持することが難しくなるかもしれない。

 のび太が肯定されている理想郷はセワシや未来の技術に依存していて、意識せずとも首根っこをつかまれている状況です。それは、パラダピアがレイ博士に支配されている構造と何も変わらない。


 ところで、作中でドラえもんが未来のセールスマンにローン毎月ちゃんと払えよって脅されてたけど、あいつにローンの支払い能力なんて絶対ないだろ。本編中でも「まだローンが残ってるのに」みたいなことたまに言ってるけどさ。


・『のび太の夢幻三剣士』

 過去作品の中で、のび太が同じように日常から逃げたい意思を明確に示した作品として、『のび太の夢幻三剣士』があります。これは異色作が多い晩年の藤子先生原作ものの中でも類を見ない作品で、作中の不可解な演出等が憶測を呼び、その一部は都市伝説的に流布しています。

 この作品では、のび太が「現実はクソだからもうたくさん!僕は夢の中で生きていく!」みたいなことを言い出します。新作はこの「夢」の部分が「どこかにある理想郷」に置き換えられたものと言えるかもしれません。

 また、『夢幻三剣士』は、おそらく全作品中で唯一、人が死にます。その死は夢の中の死ですが、ともすれば現実での死となりかねない状況でもあり、何かしら意味のある死にも思えます。

 ネタバレするとしずちゃんが死ぬわけですが、しずちゃんこそ、夢の世界=ドラえもんが常にいる理想郷から、のび太を連れ出す存在です。のび太の人生が始まるとき、そこにしずちゃんがいる*4ドラえもんという作品はそのような構造をしています。そのしずちゃんの死は、極めて象徴的な意味を帯びると思えてなりません。

 また、本作では学校という場所が、のび太にとって本当に嫌な場所として描かれ、そこからの逃避先として裏山が描かれます。裏山は本編中でものび太が逃避先としてよく選ぶ場所です。ちなみに指摘するまでもないですが、新作で理想郷に飛び立ったのもこの裏山からでした。

 クソ現実の象徴としての「学校」と現実逃避の象徴としての「裏山」。『夢幻三剣士』は「裏山の上に学校が立っている」という謎めいたシーンでラストを迎え、「実はまだ夢の中なのでは?」みたいなことがよく言われるのですが、おそらくクソ現実とそこからの逃避、という観点で考えてみた方が面白いような気がしています。


・その他

 さて、のび太の人生について長々と語りましたが、別の観点からの感想も残しておきたいと思います。

 『南極カチコチ大冒険』『月面探査記』と、近年の新ドラオリジナルは(両作の方向性はかなり違いますが)かなり作りこまれていた印象を受けましたが、今回の新作はそこまでではなかった気がします。というか、正直結構ガバガバだと思います。特に後半はかなりバタバタしていたという印象があります。三賢人なんか存在が必要ないだろ。

 その反面、近年では一番日常パートを丁寧にやっていたとも思うので、そこはむしろ好印象でした。出木杉のうんちくもあったし、野球シーンだってジャイスネの人間性を知る大切なエピソードだからね。

 そしてガバガバなところも、心の中でツッコミながら見る楽しさというものがあります。というか、ドラえもんはガバガバなくらいが楽しく見れるので好きです。理想郷のセキュリティがゆるゆるすぎて女賞金稼ぎが普通に中心部まで入り込めてるとか*5、実は反体制側だった女の子と普通にその辺の外(居住区の真ん前)で聞かれちゃいけない話してるとか、なんかシール貼るだけで誤魔化せるんかいとか、算数体育の算数があまりに簡単すぎてしずちゃんが間違えるわけないやろとか、細かいツッコミどころ挙げるとキリがないんですが、それも含めて楽しいのでいいんです。


 また、ジャイスネが洗脳されて綺麗なジャイスネになった食事シーンがとてもよかったです。最初完全にギャグで笑っちゃったけど、異様だし怖いし、のび太が「なんかおかしいよ……」ってなるのに説得力がありすぎる。声優さんの演技も良かったんだと思う。「どうしたんですか、のび太くん」じゃないんだよ。

 僕は、ドラえもんのギャグなのかシリアスなのかホラーなのかはっきりとしない、色んな演出効果を発揮するシーンがとても好きです。新ドラは基本的に意図が明確で分かりやすいシーンで構成されているため、この笑えながら恐怖を覚えるシーンはとても魅力的に映りました。



 というわけで評価が高い本作ですが、一つだけどうしても許せないことがありましてね。





 賞金稼ぎを!





 えっちな女賞金稼ぎを!!





 CV井上麻里奈のえちえち賞金稼ぎを!!!!!





 クソぶさいくな虫にするんじゃない!!!!!!!





 多分、子どもの性癖を歪めるから自主規制が入ったんだと思う。

 えちえち黒タイツのままがよかった……DVDのおまけで黒タイツバージョン収録されませんか?

*1:関係ないけど、最近職場でも「クソ~」みたいな言葉を使って新卒1年目の女の子に引かれたし、奥さんにも「(娘が真似するから)汚い言葉やめて」と言われるので、ネットの言葉遣いに毒されるのほんと良くないよ。

*2:お兄ちゃんはおしまいってわけ

*3:現時点でしているらしいけど、とてもそうは見えねぇよなぁ。

*4:アンタいくじなしよ!先生に叱られたくらいで!

*5:セキュリティが厳しくて爆弾を仕掛けることはできなかったみたいに言ってたけど、絶対ウソだよ。