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児玉聡(2010)『功利と直観 英米倫理思想史入門』勁草書房 10/10

 いよいよラストです。以下の本のまとめ。

 児玉聡(2010)『功利と直観 英米倫理思想史入門』勁草書房

 本記事は「第十章 功利と直観の二元性」のまとめとなります。



第十章 功利と直観の二元性

 本章では、功利主義直観主義の対立に対して、ある種の説明を与える脳科学や心理悪の知見が紹介されている。

1.特定個人の人命と統計的人命

 本節では、心理学の研究が紹介され、かいつまんで言えば、統計的な人命に対する私たちの感度の鈍さが指摘されている。
 人間一人一人の命の重さが同じであるとするなら、百万人が死ぬことは一人が死ぬことの百万倍ほど悪いと考えることもできるが、ここで紹介されている心理学研究によれば「われわれは実際にはそのような合理的判断を行わない(232、太字部分は原著では傍点)」という。この研究はそれぞれのグループに飢餓で苦しむ子どもに対する寄付額を判断させるもので、あるグループには「アフリカで飢餓に苦しむ七歳の少女(ロキア)の詳しい説明と写真(233)」を見せ、別のグループには「アフリカ諸国で飢餓に苦しむ何百万人もの子どもたちについての統計的事実(Ibid.)」を示し、また別のグループにはその両方を提示したという。その結果、特定の少女に対する寄付額(最初のグループ)が最も多かったようだ。この研究は、「統計的人命が問題になる場合に比べ、特定個人の人命が問題になる場合の方が、人々の共感の度合いが強くなる(234)」ことを示唆しているとされる。
 こうした人間の心理状態は「心理的麻痺(psychic numbing)(232)」と呼ばれている。また、別の似たような研究からは、「たとえ特定の人であっても、援助を必要とする者が二名以上になった段階ですでに作用し始める可能性がある(235)」という結果が出ているという。いずれにせよ、統計的に人命を捉えるような合理的な判断と、「共感に基づく実際の判断の間には、乖離が生じる可能性がある」と考えられている。

2.経験的思考と分析的思考――思考の二重プロセスモデル

 では、このような乖離はなぜ生じるのか。それを説明するためには、本節では心理学や脳科学の分野で近年論じられる「思考を二つのシステムに分けて説明する議論(dual-process model of thinking)(236)」が有用だという。つまり、ヘアが道徳的思考を直観レベルと批判レベルに分けたが、「それと似たこと(すなわち思考には二つの様態があること)(Ibid.)」が心理学や脳科学で支持されてきているという。
 例えば、心理学者のエプスタインは「情動(affect)を基盤にして(Ibid.)」おり、「複雑な状況にすばやく容易にまた効率的に対応するのに適している(237)」という「経験的システム(システム1)」と、「推論(reasoning)を基盤にしており、情報処理により時間がかかり、労力を要し、より自覚的な手順を経る(Ibid.)」という「分析的システム(システム2)」の2つに私たちの思考様態を区別しているという。この議論を踏まえると、「心理的麻痺」という現象は、特定個人の人命が問題になる場合は経験的システムがの思考が強く働くが統計的人命の場合はそうではないため「合理的な分析的システムの思考と乖離が生じ、その結果として(238)」起きるのだと説明される。
 また、近年ではこうした心理学における研究結果を裏付けるような形で脳科学の手法を用いた研究も進んでおり、その一例として「fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて、意思決定のさいに脳のどの部位が活性化しているかを見る研究(Ibid.)」が挙げられている。。

3.脳科学とトロリー問題

 本章の最後に、脳科学におけるfMRIを利用した研究として、トロリー問題などの思考実験において倫理的判断を下す際の脳の様子を調べる研究が紹介されている。ここで詳細には立ち入らないが、ここで紹介されているのは「経験的システムの思考が強く働く事例とそうでない事例に分け、それぞれにおける脳の活動を検討したもの(241)」とまとめられており、「経験的システムの思考が強く働く事例において、分析的システムの思考を用いて経験的システムの思考に反するけつろんを導くためには、かなりの心理的抵抗を感じる(Ibid.)」という部分が興味深いと指摘されている。こうした心理的葛藤について、これらの研究者たちは「功利主義的判断と非功利主義的な判断の葛藤(Ibid.)」として論じているという。
 要するに、こうした脳科学の研究からは、功利主義直観主義の対立が「われわれの脳が持つ二つの思考システムの対立関係によって説明される(242)」のだという。

 以上のように、本章では心理学や脳科学の知見から、功利主義直観主義の対立が説明され得ることが示されている。こうした知見によって「この論争が解決するわけではない(243)」が、私たちは「帰結を合理的に評価して道徳判断を行う功利主義的思考と、帰結にかかわらずダメなものはダメとする直観主義的思考の両方を持っている(Ibid.)」ことが示されているとは言えるかもしれない。
 個人的に気になったのは、合理的思考には単帰結を評価するだけではなく、私たちの行為や判断の前提を遡及的に問う思考があるはずである。というか、功利原理はまさにそうした思考によって発見されたもののように思える。もちろん、そうした前提をそのまま採用するか否かは(哲学的)直観によるものかもしれないが。


 さて、これで本書のまとめは終わりです。非常に示唆に富むものだったので、少し功利主義について考えたことを書くかもしれないし、書かないかもしれません。
 現時点で功利主義については、シジウィックによる功利主義の基礎付け、ヘアの言語論的基礎づけ、ロールズの反省的均衡、あたりについて掘り下げて勉強したいですね。個別のトピックなら、勉強になりそうな論文もネットで拾えるかと思うので、図書館に行けるようになるまで(それか実家に行けるようになるまで、ほとんどの専門書が実家に眠っとる)その辺を漁ってみてもいいかもしれない。
 飽きたら、また別のテーマで本を読んでいきます。