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児玉聡(2010)『功利と直観 英米倫理思想史入門』勁草書房 2/10

 引き続き、以下の本の読書メモです。

 児玉聡(2010)『功利と直観 英米倫理思想史入門』勁草書房

 本記事は「第二章 ベンタムたちの攻撃」です。




第二章 ベンタムたちの攻撃

 第一章で見てきたような直観主義の批判者として、本章ではベンタムが取り上げられている。ベンタムの批判は必ずしも正確な思想史理解ではないようだが、「これらの理論を十把ひとからげに論じたからこそ、直観主義功利主義の対立が明確になった(49)」と評価されている。

1.ベンタムの直観主義批判と功利主義

 まずはベンタムの主著『道徳と立法の諸原理序説』を中心に、ベンタムの直観主義批判が確認される。その批判の矛先は、「禁欲主義の原理」と「共感と反感の原理」である。
 「禁欲主義の原理the principle of asceticism」とは、「人々に与える快楽が少なければ少ないほどその行為はよく、また、人々に与える苦痛が多ければ多いほどよいとする原理(41)」である。ベンタムは、これと逆で快楽はそれがどのような種類であってもよいものであると考える。また、禁欲主義の原理も根底にあるのは「より多くの快楽を得るためには、一部の快楽を断念し、また一部の苦痛を甘受しなければならない(43)」というものだが、これがあまりに行き過ぎてしまったがゆえに苦痛をよしとするに至ったとすぎないという。
 「共感と反感の原理the principle of sympathy and antipathy」は、より重要とされる。これは「ある人が当の行為に対して共感(反感)をもつという事実が、その行為の正・不正を判断する根拠になる(44)」という考えだという。ベンタムからすると、第一章で直観主義として紹介された理論では、理性的直観主義であれ道徳感覚学派であれ、ある行為に対する道徳的な判断は単に個人(私)が是と思うか非と思うかということになり、客観的な根拠をもって他者に示されることはないとされるのだろう。その意味では、ホッブス主義を批判する直観主義も「結局は主観主義に他ならない(45)」といえる。
 ベンタムの功利主義は、批判対象である直観主義を意識して出来上がっているようだが、ここでは3つのポイントから説明されている。
 1つは社会的な政策であれ個人の行為であれ、それらの道徳的な正しさはすべて「幸福に対して持つ影響(帰結)」によって判断される(49‐50)ということ。功利主義の原則は功利原理のみであって、この場合の道徳的によい影響=帰結とは利益として説明される。
 次に、快楽と苦痛の種類が分けられ、行為や政策が伴う快楽と苦痛すべてが計算されること。こうした計算が実施されることによって、直観主義にはない客観的な基準が提示されることになる。
 最後に、快苦の源泉として4つのものが好意を動機づけると考えられていることである。この中には道徳的サンクションが含まれており、それは「道徳判断に内在するような動機ではない」「功利原理に基づく判断に必然的に伴うものではない」と考えられている(51、太字部分は原著では傍点)。つまり、功利原理の他に、人為的な動機付けが必要と考えられているのだ。

2.ペイリーとゴドウィン

 ベンタムに続いて、同時代人で当時はより影響力のあった2人の思想が紹介されている。
 ペイリー(『道徳のと政治哲学の諸原理』)は、ベンタムと同じような功利主義の考えによって直観主義を批判しているようだが、その中心に神を置いている。神学的功利主義ともいうそうで、「神が功利主義者だと考えていた(54、なお原著でも別の著作へ参照がある)」とも言えるという。また、後の章でも扱われる規則功利主義的な発想もみられるという。私見では、神への信頼と規則功利主義的な発想はどこかつながるところがあるのかもしれないと思う。
 ゴドウィン(『政治的正義』)の思想もまた、功利主義的のようだが、2点で非常に過激であるという。1つは「われわれは常に全体の幸福のために行為すべきだと主張する」こと、もう1つは「家族など身近な人に対する特別な義務を全く認めない」ことだ(56)。ゴドウィンは功利主義を過激に先鋭させているところがあり、功利主義を批判する者がイメージする功利主義者に近いと考えられている。

3.功利主義に対する批判

 ベンタムの思想を受け継いで功利主義を批判的に発展させたのは、有名なJ・S・ミルであるが、ミル以前の功利主義批判がここで簡単にまとめられている。上記の3名に対するいくつかの批判が挙げられているが、基本的には功利主義は不道徳である、不道徳な帰結をもたらすという批判であると言ってもいいように思う*1。ベンタムはこの時期よく理解されていなかったため、批判もほとんどされていなかったようだが、宗教に対する懐疑が深まるにつれてミルやベンタムの功利主義が主流になるという。

*1:「神の道徳的特徴は善意だけではなく、正義と誠実の徳も合わせ持つ(58)」という唯一の原理としての功利原理に還元する立場への批判は少し違うかもしれない。